2023年8月25日
9月10日

インドネシアバスケットボールの歴史

インドネシアバスケットボールの瞬間トップ3
  • 1. 2013年3x3ワールドツアー東京大会チャンピオン

    2013年FIBA3x3ワルドツアーの開幕シリーズである東京マスターズで、インドネシア代表のヨースカ・ジャカルタチームが優勝した。2012年FIBA 3x3ワールドツアー初年度、インドネシア代表は2012年ウラジオストク・マスターズで12位にとどまっていただけに、この結果は快挙と言えるだろう。

    2. 東南アジア競技大会2021 金メダル

    2022年にベトナムで開催された東南アジア(SEA)競技大会で、インドネシア男子バスケットボールチームが史上初めて金メダルを獲得した。これは最終戦でフィリピンを85-81で破った末に獲得したもので、この勝利によりインドネシアは総当たり戦で争われた大会の最終順位でトップに立った。それ以前のインドネシアの最高成績は、4つの銀メダルと3つの銅メダルだった。

    3. 2023年FIBAバスケットボールワールドカップの共同開催国となる

    史上初めて、インドネシアは日本、フィリピンとともに権威あるFIBAバスケットボールワールドカップを共同開催する。16,000人以上を収容できる屋内競技場であるインドネシア・アリーナは、この大会のために建設された。

  • ソニー・ヘンドラワン

    ソニー・ヘンドラワンは、1960年代から1970年代にかけて活躍したインドネシアのバスケットボールのスター選手である。1943年6月21日スマラン生まれのソニーは、1967年に韓国・ソウルで開催されたABC選手権でインドネシアを4位に導き、最優秀フォワードに選ばれた。その後、インドネシアはオリンピックプレ大会の出場権を獲得し、オーストラリアを破ったが、1978年のメキシコオリンピックには出場できなかった。

    彼の活躍により、インドネシアの男子バスケットボールチームは、1963年のGANEFO(Games of the New Emerging Forces)Ⅰと1966年のGANEFOⅡでも準優勝となったが、いずれも決勝で中国に敗れた。

    1973年にマニラで開催されたABC選手権にインドネシア代表として出場した際、フィリピンのメディアは「スマランのスリックショット」というタイトルで彼を紹介した。インドネシア・バスケットボールリーグ(IBL)のMVPトロフィーは彼の名前に由来する。

    アイ・メイド・スディアドニャーナ

    ロリックの名で知られるスディアドニャーナは、1970年11月16日にバリ島のシガラジャで生まれた。このスモールフォワードは、その一貫性、献身性、そしてコート外での影響力で有名だった。優勝こそ逃したものの、1992年からのキャリアを通じて、インドネシアのプロバスケットボール大会でレギュラーシーズンMVPを8回、オールスターMVPを1回獲得した。彼が最後にMVPを獲得したのは2011年、40歳の時で、プロキャリア最後の年でもあった。

    ロリックは、2001年にインドネシアが東南アジア(SEA)競技大会で初めて銀メダルを獲得したチームの一員であり、また、2007年に再び銀メダルを獲得した時の選手でもあった。

    インドネシアバスケットボール界におけるロリックの最大の功績は、バスケットボール選手は良い体型を維持することさえできれば、40歳になっても高いレベルでプレーできるという見本となったことだ。ロリックが引退してから10年、3人の選手が彼の足跡をたどり、40歳までIBLでプレーしている。

    アルキ・ディカニア・ウィスヌ

    アルキは、最も多くのタイトルを持つインドネシアの選手である。1988年3月15日、アメリカのニューヨークで生まれたアルキは、インドネシアに帰国するとルーキー・オブ・ザ・イヤーのタイトルを獲得し、サトリア・ムダでインドネシア・バスケットボールリーグ(IBL)デビューを果たした(2012年)。

    これまでインドネシアのプロバスケットボール大会で5つのタイトルを獲得し、レギュラーシーズンのMVPに1度、ファイナルのMVPに2度選ばれた。

    アルキは東南アジア(SEA)競技大会で2度銀メダルを獲得、2021年に金メダルを獲得した歴史的な代表チームの一員でもある。